合格体験記

H.Y(合格校:捜真女学校、聖園女学院)

 娘が中学受験の方向に向かったのは小3の夏で、友達が大手の塾に通っていたのがきっかけでした。
 それまで娘は、学校の基本的な取り組みしかしていなかったのですが、某大手塾に入りました。友達と楽しく通塾して、授業も面白かったのですが、授業だけでは習得はできず、もちろん、成果も上がりませんでした。テスト対策に追われ、課題に追われて追いつかずの日々でした。また、その頃、赤ちゃんの弟もいて、娘を中心に時間を割くこともできませんでした。
 やがて、娘の成長の容量と与えられている勉強の容量とでバランスがとれていないということに気づき、このままでよいのだろうかという疑問が深まっていきました。テストのたびに偏差値を見てがっかりし、出来ない娘を叱咤し、娘は凹んで勉強に意欲をなくし、またテストで点数が取れず、クラスの席順は下がり…と負のスパイラルが回っていきました。
 考えた末、基礎定着が出来ていないため、その場の単元を詰め込んでいく方法ではなく、基礎基本から積み上げ、基礎を構築して受験に取り組み、娘のペースで仕上げて入試を迎えようと思い、大手塾を5年夏に辞め、茅ヶ崎国語塾と算数塾と単科で理社を取れる塾へ転塾し、娘のニーズに合わせてカスタマイズした受験環境を作りました。心も身体も発展途上の子どもに対しての受験勉強の重圧を避け、ノウハウとハウツーを持っているスキルと経験値のあるプロの先生に預けたいと思いました。
 茅ヶ崎国語塾と算数塾では、勉強面での管理をしてくれ、娘の特色を理解していただいたので、お互いに信頼関係を持って勉強できました。しかし、個人塾に切り替えても、模試では数字(偏差値)に反映せず、親子とも、ジレンマに苛まれました。そのたびに、先生方には「数字は気にしない」と言われ続けました。そうしていくうちに、テストの成果ではなく、娘の実際の授業での理解と課題への真摯な取り組みに評価が移りました。
 6年の夏には、反抗期と私の焦りが重なり、自宅学習の管理に手をつけられなくなりました。田中先生には親子の問題をも相談し、納得できる自宅での取り組み方法まで一緒に考えていただきました。授業では褒めて伸ばし、ポイントを的確に抑え、諭し、また厳しく接していただきました。
 志望校を決めたのは、小5の合同説明会に出向いたときです。その頃、親子でかなり落ち込み深刻な状態に陥っていました。志望校のブースがあり、学校関係者の方に説明していただきました。そこで、当時の心境と状況を話してしたら、捜真のS試験の導入の話を伺いました。「希望で入ってくる子を優先し、前向きに楽しく過ごす6年間になるように努めます。その為のS試験を設定しました」と仰いました。
 受験は入ってからが大事。入る前に燃え尽きてはならないと感じていましたので、学校の方針に共感し、早速説明会に行きました。そこで学園長が「大事なお嬢様を預けてくださいましたら、私たちが責任を持って6年後、素敵な女性にして必ずお返しいたします」とおっしゃったので、志望校にいたしました。
 国語塾で教えていただいて印象深かったのは、田中先生が、毎回の授業の出来や課題の取り組みを見て判断し、締めたり伸ばしたりと常に調整をしているところでした。
 先生が「2/1~7に焦点を合わせ、花の開花のように、当日に満開になるように、先に咲き切らぬよう、後に咲きださぬよう、丁度よい塩梅にしてゆきます」と仰っていたのが印象的でした。子どもを注意深く観察していないとできないことなので、感服いたしました。
 算数塾の先生は、授業内容を聞いてもいつものんきな感じで、宿題も大手に比べ少なく、正直大丈夫かと心配し、面談をお願いしたり、メールで近況をお伝えしたりとしていました。それでも、マイペースでこなしておられました。最後の模試が散々でしたのでとても不安になり、過去問に間違えた箇所に付箋をして娘に持たせましたが、「直前になるとこういうお母さん、増えるんだよな(笑)」と娘と呆れた会話をしていたようでした。(笑い話です)そして、先生と娘は、平常心で淡々粛々とこなすのみでした。
 入試前日には、国語と算数の授業で息を整え当日入試本番を迎えました。最後の最後に力を発揮できました。
 こうして紆余曲折ありながら、娘の受験が2/1の初日に無事終わり、プロセスを重視するという成果もしっかり掴みました。そして勉強だけではなく、信頼をした先生方に出会うという付加価値まで手に入れ、心も身体も成長しました。

R.K(合格校:藤嶺学園藤沢 他)

 僕は、受験について学んだことがあります。それは、自分が本気にならなければ、成功は決してないということです。
 僕は、「藤嶺藤沢中学に入って中学生活を送りたい」と本当に強く強く思いました。最後に勝つのは、その思いの強さだと確信しました。
 今の偏差値はあてにならないから、とにかく、一日一歩でも良いから、前に進むことだけを考えました。そのおかげで、模試では、合格率30%未満といわれた僕だけど、塾の先生がたや、神様におすがりして、何とかギリギリで合格することができました。
(ちょっと悲しいのは、誰も僕の実力とはいってくれず、「神様ありがとう!」と皆が言っていたことです。特に、母が…。)

食事の改善で集中力とやる気にスイッチ(R.K母)

 「俺は、国語はできる」といっていた息子でしたが、過去問を解いていくうちにだんだんと自信喪失していきました。
 長文読解の最初の設問にひっかかってしまい、最後まで読み解く事ができないのでした。理数系は大の苦手でしたが、大手塾では”コテコテの文系男”と言われていただけに、国語で点が取れないのはショックでした。
 受験経験のある友人に相談したところ、茅ケ崎国語塾を紹介されました。そのとき、試験本番まで、すでに100日を切っていました。
「今頃電話しても、生徒がいっぱいで教えることが出来ないと断られるかもしれない」「でも、今、何か行動に移さないと後悔してしまう」そんな気がして、すぐ茅ヶ崎国語塾のHPから連絡を入れました。すぐに田中先生はお返事をくださり、何とか教えて頂くことができました。
 過去問を中心に、時間配分のとりかた、慣用句、文学史など、受験する学校にあわせて対応してくださり、息子は、「すごくわかるようになった」と自信を取り戻していきました。  ただ、本当に理科と算数が嫌いで、大手塾で算数をたくさん勉強していたわりには身についておらず、模試も散々な成績。最初は、「算数ができない」という私の言葉を「謙遜している」と田中先生も思っていらしたようでしたが、体験授業で田中先生の娘さんの淑乃先生に算数を見ていただいたら、あまりの出来の悪さに「大変だ」ということになり、ラスト2か月は、できるかぎり国語と算数の授業を入れて頂き、みっちり教えて頂きました。
 算数は、日能研『計算マスター1095題』で基本の計算を一日12問解きました。計算以外は、分野別に過去問を分けてくり返し解き、解き方を暗記するくらいまでやるようにといわれました。最初のうちは、計算問題だけで2時間くらいかかってしまうこともあり、書き写し間違いや簡単なミスをくり返す息子に、「こんなのもわからないの?」と怒ったり、息子も「もうやめた!」と怒鳴ったり、ケンカばかりで本当に苦しかったです。計算以外には手をつけられず、焦るばかりでした。12月は、毎週日曜日に13時から16時まで3時間続けて、茅ヶ崎国語塾で算数の授業がありました。
 最初の頃は、お昼を簡単なものしか与えずに塾に送りだしたことがありました。途中でお腹がすいてしまい、集中力がなくなりました。すると淑乃先生から、「まともなものを食べさせてください。勉強はすごくエネルギーを消費するので、ガッツリ肉を食べさせてから、勉強に来させてください」と言われました。
 「肉だとかえって胃もたれし、たくさん食べすぎて眠くなって授業どころではなくなるのではないか」と半信半疑ながらも、ガッツリ、肉野菜炒め定食やとんかつ、そしてモスバーガーの、目玉焼きが入っている「金の照り焼きバーガー」などをお腹いっぱい食べさせてから、国語塾の授業に行かせました。そうしたら、嘘のように、集中力とやる気にスイッチが入り、本当に良い方に良い方にと転がっていく感じになりました。算数の出来は相変わらずでしたが、本人の算数に対する姿勢が後ろ向きから前向きに変わったのが、とても印象的でした。それ以来、「金の照り焼きバーガー」は息子の必須アイテムになりました(笑)。  1月になり、本番まで30日を切りました。もう、ここまで来ると、新しいことやるより、出来ているところは絶対に取りこぼさない、そして、すがれるものには、すがりつく。
 茅ヶ崎国語塾の田中先生親子はもちろんのこと、小学校の担任の先生にも応援をいただき、この近所で一番近くてご利益のありそうな鎌倉の荏柄天神社では、受験合格ご祈祷をしていただき、受験日当日のご祈祷、絵馬に「合格お願いします」のメッセージを書き、合格かき集め熊手、お守りを買いました(本人のたっての希望で、後日、祈祷済ハチマキも購入)。
 スーパーに買い物に行っては、各菓子メーカーがこの時期出している、とても有難いネーミングのお菓子、『うかーる、キットカット(応援メッセージ入り)』、トッポではなく『トッパ』、『うカルピス』などを買って食べさせました。
 受験本番まで1週間を切ったあたりから、田中先生から桜のつぼみメールが毎日届きました。「受験は格闘技です。1週間続くトーナメントを勝ち抜くには、栄養、特にタンパク質です」とメールにあったので、早速、ドラックストアに行き、アミノ酸の含有量が多い「アミノバイタル」や「即攻元気」というドリンクゼリーを購入。
 実は、1/23に私がインフルエンザにかかってしまい、息子に移すのではないかとヒヤヒヤしていました。病院の先生にも相談して取れるべき措置は取ったのですが、不安でいっぱいでした。でも、当の本人は、いつも「暑い」と言い、塾でもTシャツ1枚で過ごしており、「俺は、風邪はひかない」と豪語していました。食べるものをきちんと食べていたので、体力には相当自信があったようでした。
 いよいよ、受験当日。温かい恰好で行かせたかったのですが、息子は相変わらず、「勉強していると暑くなるから」と、半袖Tシャツにパーカーで試験会場に臨みました。「お願いだから」と外ではダウンジャケットを着せました。アミノ酸の入ったドリンクゼリー、田中先生御用達のプロテインクッキー、荏柄天神社の境内の梅で作った有難い梅干し入りのおにぎり、しゃけのおにぎり、ウインナー、卵焼きを食べやすく小分けにしいて持たせ、朝御飯もしっかり食べて初日の試験に向かいました。
 初日は午後受験もありましたので、お昼もまた大戸屋でガッツリ食べて、持たせたお弁当もしっかり食べて、初日は2校とも合格することができました。これで藤嶺に心おきなくチャレンジできると気を良くした息子は、2/2、2/3、2/6と受け続けますが、不合格。算数に時間を割きすぎていましたので、手薄になった理科、社会のある藤嶺の4科受験は無謀だったと誰しもが諦めていました。
 しかし、翌日の夕方、藤嶺中学からまさにミラクル、追加合格の連絡を頂きました。本人も大喜び! 彼は、皆が諦めていた6日の夜も、密かに合格かき集め熊手で、「追加合格、来い!」と掻き掻きしながら祈っていたと白状しました。大宰府まで行ってお祈りしてくれた友人、湯島に行ってご祈祷して合格鉛筆を送ってくれた伯母、そして先生達、本当に多くの方々に支えられ、良い結果を出すことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

H.K(合格校:桜蔭 他)

 娘は、国語の記述にとても苦手意識を持っていました。
 6年生の夏休みくらいから、第一志望である桜蔭中学校の過去の入試問題にとりかかったのですが、10年分やっても全く国語の点数が上がらず、不安になりました。
 通っていた大手の塾の先生に相談しても、「直しを丁寧に」という指導だけで、「丁寧な直し」というものがどういうものかわからず、どうすれば国語の記述で点を取れるのか、あれこれ悩んでいるうちに月日が経ってゆき、とても焦りました。
 そこで、国語の家庭教師や個別指導の塾をパソコンで探して、茅ヶ崎国語塾のホームページを見つけました。ホームページには、田中先生の自己紹介や指導歴が書かれていて、先生がいろいろな中学校の国語の問題を分析されていたので、「田中先生だったら、娘の記述対策をお任せすることができる」と思い、先生にお電話しました。
 娘が通っていた塾の授業や家庭学習での時間が限られている中、田中先生は娘の都合に合わせて体験授業の時間を入れてくださいました。
 体験授業を受けると、娘の乱れた字で読みにくかった解答用紙が、まるで魔法をかけたかのように、きれいに整った見栄えの良いものに変わりました。
 それから、1度、2度、3度……と、田中先生の指導を受けていくうちに、それまで何も書き入れていなかった問題用紙の文章に印がつけられ、線を引くことができるようになりました。そして、記述のポイントや「直し」のやり方がわかるようになり、問題を作った方がどういう解答を求めているのかが少しずつわかるようになりました。
 1月になってからは、大学入試問題や桜蔭中学校と傾向の似た他の中学校の過去の入試問題も指導してくださり、入試直前までFAXやメールなどで田中先生にフォローしていただきました。
 そして、2月1日。母娘ともに「国語の記述も十分書けるようになったのだから大丈夫」と、あまり緊張することなく桜蔭中学校の入試当日を迎えることができました。
 筆記試験と面接が終わり、試験会場から出てきた娘の顔は晴れ晴れとしていました。
 田中先生に指導していただいたことは、これからも国語を勉強していくうえで大切なことばかり。要点メモは娘の大切な宝物です。
 的確な志望校対策をしてくださった田中先生に心より感謝申し上げます。

R.T(合格校:豊島岡女子 他)

 私は帰国子女です。2歳から海外で暮らし、帰国直前まで現地校に通っていました。
 小4の夏に帰国して早稲田アカデミーに通い、小6では算数・理科・社会の偏差値が60台まで上がりましたが、国語の成績だけは40台で、どうしても上のクラスにいけませんでした。小6の夏にSAPIXに転塾し、夏休みは有名中の添削などで頑張ったのですが、8月末のマンスリーでは国語の偏差値が32まで落ちてしまいました。
 2学期に入り、塾の友達は順調に受験校対策を進めているのに、私は併願校がなかなか決まらず、他教科の復習にも追われ、塾への過去問提出が極端に遅れてしまいました。塾の先生には、週に2学校分程度といわれていたので、このままでは間に合わないと思うようになりました。そこで、塾以外に過去問を添削してくださるところはないか、母がインターネットで探して、やっと見つけたのが茅ヶ崎国語塾でした。
 それで昨年の12月15日から先生に添削していただいたのですが、先生の添削は、私が今まで塾で経験した添削とはまったく違っていました。
 塾の添削では一度問題を解くと、解説と答えを見て、先生のコメントを見て、自分なりに間違った原因を考えて終わり、でした。もう一度そっくり同じ問題がでたら解けるだろうけど、一度やった問題をいくら復習しても、新しい別の問題が解けるようになるわけではなく、いつも不安でした。
 でも、田中先生の添削は、一度提出すると、先生が書き込んでくださったヒントをもとに、満点になるまで何度も提出するのです。私はどの問題も3~4回提出しました。解説も答えも見ることなく、自分で徹底的に考えるので、何度もやっているうちに、次第に解き方がわかるようになりました。まったく新しい問題でも、どこを読み、どこをまとめるのか、答えを書く時間はどれくらいか、最後のほうには自分の中に目安のようなものができてきたように思います。これでかなりの自信がつきました。
 田中先生からは、「他教科の勉強もあるのに、よく国語にこれだけ時間を割けましたね」と褒めていただきましたが、私は逆に、国語を先生に見ていただくことで他教科の勉強に心おきなく集中でき、効率が上がりました。また、直前まで毎日少しずつ国語対策をしていたので、うまくピークを入試本番にもってくることができたように思います。1月末には塾も終わってしまうし、一人では、毎日、直前まで志望校の国語対策などできません。ほかの人がしていない対策をしていると思うと、それも大きな自信となりました。
 当日は、先生に添削していただいた紙を学校ごとに製本して試験会場にもっていきました。まとめてみたら、学校によっては100枚近くになってしまい、びっくりしました。こんなふうに直前まで毎日国語に触れていたおかげで、本番はまったく緊張せず、集中して問題を解くことができました。志望校に合格できたのは、田中先生のおかげだと思います。
 田中先生、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

たった一枚の添削から変わった娘の国語学習(R.T.母)

 小4夏の帰国直前にはまったく日本語を話さず、帰国後もクリニックとクリーニングの区別さえつかなかった娘。国語をなんとかしなければと、いろいろな先生にアドバイスを求めてきました。小6の夏、塾の国語の先生が言うには、「もう時間がないので、たとえ国語が0点でも合格できるように3教科を頑張ること」とのこと。まるで最後通牒のように感じられました。  それから半年、語彙が少ないのがいけないのか、読む速度が遅いのか……と、塾の先生がさじを投げた娘の国語の問題点を四六時中考えました。そして、本文に線引きすればいいのかも、問題を解かずに読むといいかも、空欄補充解答を作って埋めさせたらいいのかも……などなど、まだ何か国語を伸ばす方法があるかもしれないとの思いで、ネットや書籍で国語の勉強法を読みあさりました。でも、いくら家で目の前の問題にじっくり取り組んでも、初見の問題になるとまるで太刀打ちできません。成績はなかなか上がらず、模試があるたびに、やっぱり無理なのだろうか? と絶望する日々でした。
 結局、他教科の穴埋めにも時間がかかり、12月半ばの段階で、娘は過去問もろくに終わっていませんでした。独力でやろうにも、国語だけは自分で採点できません。塾のお友達はもうすでに2回目に入られている方も多い中、せめて過去問だけは点数が出る形で終わらせてあげたいと、あきらめ半分で田中先生にお願いしました。
 なので、最初の添削が終わり、田中先生から、「一文中に主語が二つ以上出てくる文の主語の認識がまだ甘い」「形式段落の認識が甘い」などと、娘の弱点についての具体的なご指摘をいただいたときはびっくりしました。そして、娘には「一文を取り出したときの主語をチェックしてごらん」「同じ単語、似ている単語で本文の検索をかけてみて」「『毒』という表現は本文中で二度目だから、最初に出てきたところをチェックして」と、これまた具体的な対処法を教えてくださったのです。娘もFAXを一目見るなり「なるほど!」と合点がいったらしく、一人で嬉々として見直し、答案を書いていました。今まで自主的に国語に取り組んだことがまったくなかった娘が、自主的に積極的にやっている姿も新鮮でした。
 娘の国語で四六時中悩み続けた私のこの半年は何だったのだろうと思いました。今までどんなに評判のよい国語の先生に伺っても、「読書量・語彙を増やせ」「音読してみたら」など、誰にでも通用するようなアドバイスしかいただけず、具体的に今の娘に何が足りないのか、どうすればできるようになるのかを教えてくださった先生は一人もいませんでした。それを田中先生はたった一枚の添削で娘の問題点を見抜き、対処法を示し、なおかつ次につながる国語の解法を娘が習得できるよう導いてくださったのです。素人の私があれこれ悩む前にもっと早く田中先生にご相談していればよかった、と本当に後悔しました。
 それからの娘の伸びは目覚ましいものがありました。何よりも娘自身が先生のFAXを待ち望み、一人で本当に楽しそうに取り組んでいました。結局、本番直前までご指導いただきましたが、国語に憂いがなくなったことで、かえって他教科にも集中できたように思います。田中先生のご指導は、傍らで見ていて母親自身も目からうろこ的要素が多く、母娘ともども大いに学ばせていただきました。中学受験のためのご指導ではありましたが、先生の添削により、娘の読解力・論理的思考能力・表現力は大いにアップし、今後の人生にとっても、大きな力になったことと思います。
 志望校から合格をいただけたのは、田中先生のおかげです。本当にありがとうございました。